即興 大晦日ビュータン100人組手
タイトル:大晦日ビュータン・インプロ100人組手
日時:2021年12月31(金)18:00-22:00
場所:金沢市民芸術村ドラマ工房PIT2(〒920-0046 石川県金沢市大和町1-1)
料金:入場無料(投げ銭受付)
備考:AIRでご一緒した音楽家のビュータンこと上野賢治さんが、「即興で100人(概念的人数)を相手に面白いことをやろう」という年越し企画に誘ってくださいました。
「生き死にに思い馳せることの多い1年だった」 のが出た即興だった気がする。
喪中のケガレは気枯れと書くようですが、確かに7月末以降の私は気枯れていました… 普段一緒に住んでなくても、どこかで生きてるだけで違うものだ。もう2度と会えないと思うと虚無感?がある。なんか、弱い人間になってた気がする。とても謝りたいような人がいるけど、でも 何を謝るのかもわからない。ただ とてもしんどくて、色々手放して限りなく自由になりたかった。ゆるいけど信頼できる繋がりを非常にありがたいと感じた。
甘えながら生きてるから、当たり前にあると思っていたことが 不意になくなることに耐性がなさ過ぎる。とても1人になりたい、けど、沢山の人に支えられながら生きてる自分のことも同時に強く意識する。生きることの意味の一つは、悲しみを受け入れることなのかもしれない。
衣装どうしようとか直前にアタフタ考えてしまったから、入り時間にちょっと遅れてしまったり、ws途中参加になって受身スタートになっちゃったり、色々 スタートミスった感もある。
本編も 割としっくり噛み合ったかは わからない。自由に振る舞いすぎたかなと。型にはめられたくなくて、意図的に"聴かなさ"過ぎた。嫌われたかもしれない。← 私の今の精神状態に素直になると、聞きたくない、聞けない状態だったし、即興だから それも許されるんじゃないかと甘えた感はある。
特に後半、どうしても実祖母の役をやりたくて、主宰に確認もとらずにばあちゃんの格好で客席に座り、祖母ならここで寝るなと思って寝たふりしてたら 出演者として認知されずに飛ばされた。笑
ただ、めちゃくちゃ私 個人的な都合で言うと収穫があり、自分以外の誰かを演じながら心の動きで泣けるってのを初体験した。無数に散らばる台詞の中から自分の心をついてきた「時間だよ」「ただいま」「おかえり」そんな 3言。地獄のようなこの世が終わることを願いながら、輝くほど温かい過去の記憶がよみがえり、なんか拝みたくなった。婆ちゃん、爺ちゃんに会いたいだろうなと 私が思っていたのが出たのかも。本当の本人の気持ちはわからないものの、フィクションの世界に没入できた充実感はあった。
終わってから、"実は私勝手に婆ちゃん役をやってたんです"って言ったら、"わかりづら!"って言われた。普段 喋り過ぎるくせに 肝心な所で言葉が足りない自分に、確かにマイワールド過ぎたかも… と思う。でも、あと もう一歩前に出たら、やりたいことを理解して貰えたのかも?とも感じた。
帰りの車を運転しながら お腹減ってきたと感じつつ、そういや私 家で食べられ攻撃受けて 最強に太ったことはあるけど、飢えてひもじい気持ちになったことはないなって思って。思春期はそれで嫌な思いもしたけど、不器用な優しさだったと思えば、ありがとって気持ちになったりもする。絶対 帰りたくなかった実家を 恋しく思うようになったりもして、距離感が上手になったのかな。わかんね。
ビュータン氏の娘さんが、公演の最中 暇を持て余して私の似顔絵を描いてくれて、盛ってくれてるやん!と テンションあがった。公演以外の時間も私にとっては幸せな時間でした。
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